学校沿革
本校は地域社会の要望に応え、昭和23年7月期成同盟会が結成され、旧常豊村渋井に初めて福島県立 塙高等学校として設立された。父母と教師の会、また石井、八幡、鮫川、渡瀬、西山に季節分校が開設された。 その後向山運動場、代官町、上渋井、上石井等が学校敷地候補として挙げられたが、当時の塙町長白石禎美はかねて 心中深く期するところがあり高等学校教育に対する雄大なる抱負と構想から諸方面の困難と打開して高城村台宿北原に 敷地を設定し、その地域約6ヘクタールに亘る厖大な民有地を欣然自費をもって買収し、敷地として寄付せられた。
ここにおいて、本校発展の基盤は確立され、以来、氏の尊い且つ宏遠な精神が学園のあらゆる面に流動透徹して、 光が丘の名の如く、本校の進展盛況を見るに至ったことは本校創業の歴史を飾る感銘すべき事蹟である。翌24年4月 定時制課程普通科設置、生徒数172名、職員数16名と発展し、また生徒会が発足した。25年11月22日この地に校舎建築の地鎮祭を 行い、翌年通常課程普通科の設置、同7月第1期建築工事が竣工した。
その後、時代の進展と共に学科の統廃合、施設設備を拡張増設し、 45年度より普通科を女子電子科に転換して、校名改称した。更には56年に校舎改築が竣工して名実共に水郡線沿線唯一の 工業高校となる。平成20年度、創立60周年記念式典を挙行し、技術革新時代に対応すると共に、地域開発振興の一翼を担う 中堅技術者の養成に努めている。
昭和(19年-) | |
23.04.01 | 福島県立東白川農業高等学校の定時制課程塙分校として設立。農業科1学級、別科家庭科1学級、生徒数46名。校舎は旧常豊か小学校塙分教場校舎156坪を使用福島県立東白川農業高等学校主事百井盛 |
23.07.31 | 福島県立東白川農業高等学校から独立し、福島県立塙高等学校と改称(定時制課程農業科、家庭科各1学級) |
23.12.01 | 季節学校開設(石井、八幡、渡瀬、鮫川、西山) |
24.03.22 | 学校敷地を高城村大字台宿字北原121(現在地)に決定 |
24.04.12 | 定時制課程普通科を設置 |
26.04.01 | 全日制課程普通科を併設、第1学年50名、第2学年若干名を募集 |
28.04.01 | 全日制課程家庭科を増設、募集定員40名 |
31.04.01 | 定時制課程農業科募集停止 |
32.04.01 | 別科家庭科募集停止 |
35.02.28 | 創立10周年記念式典挙行(校旗・校歌・校訓制定) |
37.04.01 | 鮫川分校は本校より福島県立東白川農商高等学校に所属換えになる |
38.04.01 | 電気科(募集定員100名)を新設、普通科2学級、電気科2学級になる。家庭科募集停止 |
40.04.01 | 普通科1学級を機械科に転換(定員50名) |
40.05.04 | 創立記念日を5月4日とする |
42.11.30 | 定時制季節課程石井分室廃止 |
43.11.01 | 創立20周年記念式典挙行並びに体育館落成祝賀式挙行 |
45.04.01 | 普通科を電子科(女子)へ転換、機械科1学級増設、福島県立塙工業高等学校と校名を改称、機械2、電気2、電子1学級編成 |
53.11.02 | 創立30周年記念式典挙行 |
56.04.01 | 電気科2学級から1学級編成となる |
59.10.27 | 校旗制定 |
61.04.09 | 男子制服の制定(紺) |
63.10.29 | 創立40周年記念式典挙行 |
平成(1989年-) | |
10.10.24 | 創立50周年記念式典挙行 |
15.04.01 | 電気科募集停止 |
20.10.25 | 創立60周年記念式典挙行 |
25.04.01 | 機械科1学級となる |
30.10.13 | 創立70周年記念式典挙行 |
R5.3.20 | 閉校式 次年度より福島県立白河実業高等学校と統合 |